大判例

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東京地方裁判所 昭和51年(ワ)1279号 判決

原告

菅野久美子

右法定代理人親権者(父)

菅野信一

右同(母)

菅野洋子

原告

菅野信一

原告

菅野洋子

原告

佐竹敏男

原告

佐竹千恵子

右五名訴訟代理人

小野寺利孝 長谷則彦 二瓶和敏 青木至 梓沢和幸

荒木和男 石塚久 石附哲 板垣光繁 伊藤孝雄

岩井重一 岩本洋一 上野登子 大倉忠夫 大脇茂

岡田弘隆 梶山公勇 加藤義明 門屋征郎 川名照美

金住典子 上条義昭 河合一郎 小山三代治 後藤裕造

酒井幸 佐藤正八 佐藤充宏 斉藤義房 塩谷国昭

志賀剛 白井幸男 鈴木篤 多比羅誠 田岡浩之

高木国雄 高谷進 高谷俊吉 田中峰子 士谷英和

寺村温雄 戸張順平 中野智明 野村和造 林司

原誠 藤本えつ子 藤森克美 布施順子 古川祐士

細川律夫 堀野紀 松丸幸子 望月千世子 百瀬和男

守川幸男 山崎正 山下登司夫 山田裕四 若穂井透

梅沢和夫 小出正夫 清水政昭 長谷川正浩 塚田昌夫

斉藤洋 高島照夫 松丸正 田中薫

被告

江戸川区

右代表者区長

中里喜一

右訴訟代理人

北川豊

高村民昭

人見哲為

上野操

吉川彰伍

露木茂

主文

一  被告は、原告菅野久美子に対し、金一三二四万六六八円原告菅野信一及び同菅野洋子に対し、各金三〇万円及び右各金員に対する原告菅野久美子については内金一二〇四万六六八円、原告菅野信一及び同菅野洋子については各内金二七万円に対する昭和四五年七月一五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告佐竹敏男及び同佐竹千恵子に対し、各金六六六万九六八八円及び内金六〇五万九六八八円に対する昭和四九年七月一三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの負担としその余は被告の負担とする。

五  この判決の第一、二項は、仮に、執行することができる。

事実《省略》

理由

一請求原因第1項(一)の(2)ないし(4)(菅野事件の当事者)の事実は当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、同(1)(原告久美子の本件溝渠への転落)の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

二同項(二)の(1)ないし(3)(佐竹事件の事故発生と当事者)の事実については当事者間に争いがない。

三そこで、原告らの被告に対する請求の責任原因について検討するが、まず原告らと被告間の合意に基づく本件各事故の被告の責任についての請求原因第2項(一)ないし(三)について判断する。

〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができ〈る。〉

(一)  原告信一は、江戸川区内の住民らとともに昭和四七年四月ころ原告久美子の転落事故現場附近の公共溝渠に蓋をかけることを求めて署名運動を行い、被告との交渉を展開し、その結果、区長は、昭和四七年一〇月一一日右転落事故現場を含む鹿骨地区の公共溝渠を視察した。被告は、昭和四八年五月右転落事故現場を含む鹿骨地区の公共溝渠の蓋かけ工事を実施した。

(二)  昭和四九年一月二八日と同月三〇日に幼児の公共溝渠への転落事故について被告の責任を認める大友判決、関根判決が出された。子供を守る会は、右両判決を踏まえて被告と交渉をもち、同月三〇日、被告助役らとの間で被告が右両判決の控訴権を放棄すること、被告が江戸川区内のドブ川において生命を失つた幼児らの霊を慰めるため合同慰霊祭実施を検討すること等を内容とする確認書を作成した。被告は右両判決に服し、区長は自ら同年二月四日、右両判決の原告らに損害賠償金の支払いをなしたが、その支払いの場所に同席していた原告信一は、区長に対し、原告久美子の転落事故を告げそれに対し区長は出来るだけのことはする旨を告げた。

(三)  原告信一を含む子供を守る会は、同年四月六日、被告総務部総務課長らに対し、原告久美子の転落事故につき被告が全面的に責任あることを認めるよう要求し、同人らと交渉の結果、同人らとの間で原告久美子の転落事故は被告が本件道路の管理者として道路に接する溝渠への転落を防止する安全対策を怠つた結果生じたものであり、その全責任を負うこと、被告の負担する責任の具体化については、今後、原告信一ら子供を守る会と継続して話合いをすることを内容とする確認書を作成した。

(四)  原告信一ら子供を守る会は、同年七月四日、被告土木部長らとの間で原告久美子の転落事故につき右四月六日付確認書に従つて同人らが区長の決裁を受けることを内容とする確認書を作成した。

(五)  原告信一ら子供を守る会は、同月二二日、被告助役らと原告久美子の転落事故につき交渉をもち、同人らとの間で、被告は原告久美子の転落事故について道路管理者として転落防止柵等を設けなかつたことから第一次的責任あることを認めるが、原告久美子の両親にも責任あることを主張する旨の被告の主張と原告久美子の転落事故については被告に全面的に責任があり、親には何らの過失もないとする原告信一らの主張を内容とする諸事録を作成した。

(六)  同年八月六日、原告久美子の転落事故現場で、被告土木部長らと原告信一、同洋子らによる原告久美子の転落事故共同調査が行われた。

(七)  原告信一ら子供を守る会は、同月一〇日、被告助役らと原告久美子の転落事故につき交渉をもつたが、被告と子供を守る会双方の各主張は前回と同様であり、子供を守る会と被告助役との間で各主張を記載した会議録が作成された。

(八)  さらに、子供を守る会は、同年一〇月一七日と同年一一月一九日、それぞれ被告助役、被告区長との間で交渉をもち、同人らとの間で前記同年一月三〇日付確認書に従つて合同慰霊祭を実施すること等を内容とする議事録を作成した。昭和五〇年一月二五日、被告主催の江戸川区内水路転落事故者合同慰霊祭が実施された。

(九)  原告敏男、同千恵子は、一宏の転落事故後事故現場の安全対策実現のため蓋をかけ署名運動を行い、昭和四九年一一月一六日、被告に対し右署名簿を提出して蓋かけの要請をし、被告土木管理課長から同年一二月末日までに蓋かけ工事を完了する旨の回答を受けた。

(一〇)  子供を守る会は、昭和五〇年二月二〇日被告に対し、菅野事件、佐竹事件等につき被告の責任の所在及び内容についての交渉を申入れた。

(一一)  原告信一、同敏男ら子供を守る会は、同年三月六日、被告区長らと交渉をもち、その中で、子供を守る会らは、被告に対し、菅野事件、佐竹事件につき被告に全面的な責任があることを認めるよう要求し、その結果本件合意を内容とする議事録が作成された。そして、次回の交渉によつて菅野事件、佐竹事件の損害額を話し合うことにし、次回交渉日を同月二八日に決めた。しかし、被告はその後、佐竹事件につき過失相殺を主張するなどして、結局菅野事件、佐竹事件の具体的損害額についての原告らと被告の話し合いは打切られた。

2 右認定事実からすると、被告は原告らに対し原告久美子の本件溝渠への転落による右眼失明事故、一宏の本件取水口溝渠への転落死亡事故の本件各事故についての責任が被告にあることを認めたものということができる。そして、原告らは本訴において右合意を根拠として被告に損害賠償請求を求めており、その請求は本件合意を内容とする契約上の損害賠償請求権に基づく請求と解されるところ、被告は仮に本件合意が認められるとしても本件合意は地方自治法上議会の議決事項であり、区議会の議決を得なければその効力を有しない(地方自治法第九六条第一項一一号、第二条第一六項)からこれを根拠とする原告らの請求は理由がない旨主張する(請求原因に対する認否第2項(一))が、本件合意が地方自治法上区議会の議決を経なければ効力を生じないものであるか否かの点はともかく、元来、契約上の具体的損害賠償請求権が発生しており一方の当事者がこれを根拠に相手方に対し一定の金員の支払いを請求することができるというためには、相手方が支払うべき金額が具体的に確定されているか、そうでなくとも、例えぼ所定の要件をあてはめていけば相手方が支払うべき金額が具体的に算出されてくるというように少なくとも支払われるべき賠償額が当事者の合意事項から確定しうる場合でなければならないと解されるところ、本件の場合、被告は本件各事故について責任のあることは認めたものの、結局、原告らと被告との間で被告が支払うべき具体的な損害賠償額についての合意が成立しなかつたことは前示のとおりであり、また、前示本件合意からいまだ右損害額を確定しうるとも認められないので、本件合意を根拠とする原告らの損害賠償請求は、その余の点の判断に及ぶまでもなく理由がないと言わざるを得ない。

四そこで、次に、原告らの国家賠償法を根拠とする損害賠償請求について検討する。

1  しかるところ、原告らは、本件合意をもつて被告が本件各事故について損害賠償責任を負うことを確定するとともに、本件各事故についての親及び子供の過失を主張しないことを約し、これらの点については訴訟上これを争わないことを約したものであつて、いわゆる自白契約の効力を有するものであるから、被告は本訴において賠償責任を否定する趣旨の主張をすることは許されず、また、過失相殺の主張をすることも許されない、したがつて、本件合意の成立が肯認される以上、本件各事故について被告が賠償責任を負うべきことについては争いがないことになり、残るは、過失相殺の点を除外して損害賠償額を確定する問題だけである旨主張するので、以下、この点につき判断するが、本件証拠によつて認められる事実からは、たやすく本件合意をもつて原告ら主張のごとき性格のものであるとは断じえない。

すなわち、責任の所在と賠償すべき損害額の算定を論理的に別個のものとして取り扱うことができることは、原告ら主張のとおりと解されるところ、本件合意成立に至る前記交渉の経緯に照らすと、右交渉は、原告らを含む子供を守る会が被告に本件各事故について責任のあることを認めさせ、被告が支払うべき損害賠償額を当事者間の交渉によつて確定することを目的として行われたものであるが、本件合意は、責任の所在と損害賠償算定の問題を一挙に解決することが困難であつたため、損害賠償確定に至るまでの一段階として、まず、被告に責任のあることとその範囲(過失相殺がなされるべきでないこと)を明確にし以後の交渉においては、過失相殺の問題を抜きにした損害賠償額の点に問題を限つて交渉を進められるようにするためになされたものであると認められ、それは、いずれ損害賠償額についても当事者間で合意が成立するであろうことを前提としあるいはこれを成立させやすくするために締結されたものであり、いわば当事者間で損害賠償請求権を確定するための中間的合意であつて、少なくともその後の当事者間の合意により訴訟というような強制力を伴う手続によらずに損害賠償額の点についても合意が成立するのであれば、右賠償額確定のための交渉においては、被告に責任のあることを否定せず、過失相殺の主張もしないことを約したものであるということまでは肯認できるが、それ以上に、本件合意が原告ら主張のごとく訴訟法上の自白契約たる性質を有するものとして、すなわち当事者間の交渉が決裂し最終的な法的紛争解決手段である訴訟に至つた場合でも、なお被告に責任のあることを争わず過失相殺の主張もしないことまでを約する趣旨で締結されたものであるとは断じえず、他にこれを認むべき証拠はない。

もつとも、前記認定事実や〈証拠〉によれば、右合意に至るまでに原告らと被告の間で数回にわたつて交渉が重ねられ、被告の区長も菅野事件の事故現場を見分する等して本件各事故の状況につき相当程度の認識を有していたことが推認されるうえ、被告は原告らとの交渉経過からみて被告の主張が容易にいれられそうにもないと判断し、本件合意がなされた昭和五〇年三月六日の原告らとの交渉に臨む以前から本件各事故について弁護士に相談して右交渉に臨むに際しても本件各事故の処理を爾後弁護士に依頼することを考えていたことが認められ、かかる事実からすると、被告は本件合意前本件各事故につき原告らとの間で将来訴訟になることもありうることを、充分、承知のうえで本件合意に応じたものであるということができる。

しかしながら、本件合意が成立するに至る交渉過程の中で、一旦、責任の所在ないし範囲について合意が成立した場合には、その後損害額について意見が合致せず、結局、訴訟によつて結着をつけざるを得なくなつた場合でも、なお当事者双方を拘束するものとして本件合意がなされるものであることが明確にされていたことを認むべき証拠はなく、却つて、〈証拠〉によれば、同人は昭和五〇年三月六日の交渉に臨む際に原告らの言い分を一応認めても、その後訴訟になつたときは弁護士に依頼して、これを覆すこともできると考えていたことが認められ、少なくとも一方の当事者である被告が原告らの主張のとおりの効力を有する合意をする趣旨で本件合意に応じたものではないことが明らかであるといわざるをえず、この点に関する原告らの主張は採用しえないというほかはない。

2  そこで、さらに、原告らの信義則ないし禁反言の法理違反の主張についてみるに、当事者が一旦、法的拘束力を有すべき合意をしておきながら、後になつていわれなくこれに反する主張をするということが民事訴訟の場においても許されるべきでないことはいうまでもないが、本件合意によつてはいまだ契約上の損害賠償請求権が発生していると認め難いことは前示のとおりであり、また、右合意は前示のとおり責任の所在のみならず損害賠償額についても当事者間で合意が成立することを前提とし、あるいはこれをしやすくするための中間的合意であつて当事者間における任意の交渉の場における拘束力はともかく、訴訟の場においてもなお原告ら主張のごとき拘束力を有するものと認め難いことも前示のとおりであるとすると、当事者間の交渉が決裂し訴訟によつて解決せざるをえなくなつた本訴において、被告が右合意と異なり、被告の法的責任を否定し、過失相殺の主張をしたからといつて、直ちに、信義則ないし禁反言の法理に反するものとは断じ難く、その他本件証拠によつて認められる原・被告間の交渉の経緯等諸般の事情に照らしても、被告の右主張を許されないものと断ずべきものとは認め難い。

もつとも、〈証拠〉によれば、被告としては本件合意をなす時点では、既に従来の交渉の過程からみて当事者間の交渉によつて損害賠償額について被告も納得しうる範囲で合意に達することは困難であり、一旦、右のごとき合意をしておいて、後は訴訟によつて争うよりほかはないと考えていた様子が窺われ、この点からすれば、被告は最終的には、本件合意を前提として損害賠償額についての交渉をまとめ当事者間で紛争を解決するつもりはなかつたのに、その場逃れのために本件合意をしたものであるとの観点から被告のとつた態度の当、不当を批判する余地はあるとしても、本件証拠によつて認められる交渉の経緯等諸般の事情に照らすと、だからといつて被告の本訴における前記主張を信義則ないし禁反言の法理により許されないものとは断じえないというのが相当である。

五そこで、菅野事件について被告の国家賠償法上の責任について検討する。

1  本件道路及び本件溝渠等の状況

本件道路には歩道、車道の区別がなく、本件溝渠への転落を防止するための設備がなかつたこと、本件溝渠は本件道路に設置されその幅は2.1メートルで、内側壁面をコンクリート壁とする柵渠であることは当事者間に争いがなく、右の事実に〈証拠〉によれば次の事実を認めることができ、〈る。〉

(一)  本件溝渠は、東京都江戸川区鹿骨四丁目一四三番の二先の南北に走る本件道路の東側に沿つて流れる幅2.1メートル深さ約1.3メートルに垂直に掘下げられた溝渠であつて、その内側壁面はコンクリートの壁であり、その一方の壁面(西側壁面)は本件道路の側面となつている。本件溝渠の上には約1.8メートル間隔に幅0.12メートルのコンクリート梁が架設されていた。

(二)  本件溝渠は、元来農業用水路の自然溝として使用されていたものであるが、前記(1)のような構造のコンクリート柵渠に改造された後、主に一般家庭用の排水路、あるいは大雨の際の雨水の排除目的に使用され、田植えの時期等には農業用水路としても利用されていたものであつて、田植えの時期、大雨の際には本件溝渠に水が一杯溜ることもあつた。本件第一事故当時の本件溝渠内は溝渠両端に泥が盛り上がつてすり鉢状になつており、その真中の低くなつている所に水がわずかに流れている状態であつた。本件溝渠内の泥の中にはコップや茶わんのかけらが混在し空罐等も捨てられている状態であつた。

(三)  本件事故当時、本件溝渠には蓋かけがされておらず、本件道路には本件溝渠への転落を防止するための設備はなかつた。

(四)  本件道路は、東西に走る道路と交差するが、東西に走る道路が本件溝渠と交差する部分には高さ約0.6メートルのコンクリート製の欄干(以下、本件欄干という)があつた。本件溝渠の東側にある家は右溝渠上にかけられた木橋を利用して本件道路に出入りをしていた。

(五)  本件道路及びこれに交差する東西に走る道路は事故当時いずれも舗装されておらず、本件道路の中心が高く、道路の端が低くなつていて、いわゆるかまぼこ型の道路であり車道、歩道の区別もなかつた。

(六)  江戸川区鹿骨地区一帯も昭和三五、六年頃から都市化現象がはじまり、本件第一事故当時には、本件事故現場付近も宅地化され住宅が相当程度建てられていた。本件道路は学校へ行く子供の通学路として利用され、人、車の通行量も相当程度あつた。

(七)  本件道路沿いの溝渠においては、昭和四〇年の柵渠後、本件第一事故発生に至るまでの間に約一〇回の子供の転落事故が発生した。

2  本件道路及び本件溝渠管理の瑕疵の存否について

〈証拠〉によれば、原告洋子が、本件溝渠へ転落する直前に原告久美子を確認したのは同女が本件溝渠北側にある本件欄干の西端付近にいたときでありそれ以後の同女の行動は確認していないが、原告久美子の本件溝渠内の転落地点は別紙見取図第二図中のG点であることが認められ、この事実に前記認定のとおり本件溝渠の北側に高さ約0.6メートルのコンクリート製の本件欄干があつた事実(別紙見取図第二図参照。但し、事故当時同図中に記載されている欄干は真中が切断されていなかつた。)を考え合わせると、原告久美子は本件道路より本件溝渠に転落したと推認するのが相当である。そして、被告が本件道路を管理していたことについては当事者間に争いがないので、被告の本件道路の管理に瑕疵があつたか否かを判断するに、前記認定のとおり本件道路が、本件第一事故当時、農地から宅地化され住宅が相当程度建てられた中に存在し、これを挾んで立ち並ぶ家の住民やその他一般の通行人の通行の用に供されていたこと及び前示本件道路と本件溝渠の各構造と位置関係に照らすと、本件溝渠への転落防止設備が施されない限り本件道路から本件溝渠への転落の危険性があつたことは明らかであり、かつ本件溝渠の構造、使用状況等から考えられる転落した場合の被害結果の重大性を考え合わせると被告としては本件道路の管理者として本件道路から本件溝渠への転落事故防止のために本件道路に防護柵を設ける等何らかの方法によつて転落防止措置をなすべき管理責任があつたというべきであつて、本件第一事故当時、かかる措置がとられていなかつたことが前示のとおりである以上、本件道路の管理に瑕疵があつたといわざるをえない。

3  損害

(一)  原告久美子の逸失利益七六九万九三四円

原告久美子が本件事故当時満三歳であつたことは当事者間に争いがなく、自動車損害賠償保障法施行令二条別表、労働基準局長通牒昭和三二年七月二日第五五一号労働能力喪失率表、労働省統計情報部賃金センサス昭和五六年第一巻第一表(以上のごとき資料は、本来、当事者より書証として提出されてしかるべきものであるところ、本件では提出されていないが、いずれも当裁判所において職務上知り得るものであるので、以下これを使用して損害を算定することとする。佐竹事件についても同じ。)によれば、原告久美子は、向後一八歳から六七歳まで就労して収入を得ることができ、右期間を通じ昭和五六年度賃金センサス第一巻第一表による産業計、企業規模計、学歴計の女子労働者全年齢平均の年間給与額一九五万五六〇〇円を右期間毎年継続して得るものと推認されるところ、前記第一項記載のとおり右眼失明の傷害を負つたことによりその労働能力の四五パーセントを失つたものと認めるのが、相当であるから、ライプニッツ方式計算法によつて原告久美子の逸失利益の本件事故時における現価を算出すると金七六九万九三四円となる。

195万5600円×0.45×(19.1191

−10.3796)=769万934.7円

なお、原告らは近年の物価並びに賃金の上昇率は五パーセントから一〇パーセントの範囲で上昇しており、これは一括計算による利息控除率とほぼ同じかまたはそれ以上であるため利息控除はすべきでないと主張するが、右見解にはにわかに左袒しえず、将来の物価上昇ないし賃金上昇が年率五パーセントから一〇パーセント程度の割合であることを認めるに足りる証拠もないので、原告らの右主張は採用しない(この点は佐竹事件についても同じ)。

(二)  原告久美子の入、通院中の諸費用 一八万七五八六円

〈証拠〉によれば、原告久美子は、本件溝渠への転落事故による受傷により昭和四五年七月一五日から同年八月一五日まで江東病院に入院し、さらに同四六年三月一五日同病院に再手術の為に再入院し、同月三一日までは入院していたこと、右各入院期間中原告洋子は原告久美子の付添看護をなしていたこと、原告久美子が昭和四五年七月から同四六年六月まで、同四七年六月、八月、同四八年一月に江東病院、日根野眼科で各治療を受け、その治療費として金四万五九三六円を負担したことの各事実を認めることができる。

右事実及び原告久美子の傷害の程度、年齢等を考慮すると治療費金四万五九八六円、入院雑費金二万四六〇〇円(700円×39日)、付添看護費金一一万七〇〇〇円(3000円×39日)は、本件事故と相当因果関係にある損害と解するのが相当である。

(三)  原告久美子の入、通院中の慰謝料 五〇万円

前記認定の原告久美子の傷害の程度、治療経過等諸般の事情(但し、過失相殺に関する事情を除く。以下慰謝料の算定につき同じ。)を考慮すると、原告久美子の入、通院中の慰謝料としては、金五〇万円をもつて本件事故と相当因果関係にある損害と認めるのが相当である。

(四)  原告久美子の後遺障害に基づく慰謝料 五〇〇万円

前記認定の原告久美子の受けた傷害の部位、程度、原告菅野洋子本人尋問の結果により認められる右傷害がもたらした原告久美子の社会生活、学校生活への影響、その他本件に顕われた諸般の事情を考慮すると本件事故による後遺障害によつて原告久美子が受けた精神的苦痛に対する慰謝料は五〇〇万円が相当である。

(五)  原告信一、同洋子の慰謝料各三〇万円

本件事故による原告久美子の傷害の程度、部位、年齢、性別、〈証拠〉により認められる受傷後の原告久美子に対する原告信一、同洋子の心痛等を考慮すると、原告久美子の両親である原告信一、同洋子としては、本件第一事故により、原告久美子の生命を害されたときに比しても著るしく劣ることのないような多大の精神的苦痛を受けたものと認めるのが相当であり、その慰謝料としては各自金三〇万円をもつて相当とする。

(六)  過失相殺

〈証拠〉によれば次の事実を認めることができ、これを覆すに足りる証拠はない。

(1) 原告信一は昭和四〇年ごろ本件溝渠の所在する江戸川区鹿骨四丁目一四三番地の二に住みはじめ、原告洋子は昭和四一年原告信一と婚姻して右同所に住みはじめたが、昭和四〇年ごろにはすでに本件溝渠は柵渠化され、農業用水、家庭の雑排水の溝渠として利用されるなど本件第一事故当時の状況と同様の状況で利用されており、原告洋子は本件第一事故時には本件溝渠及びその周辺の状況を知悉していた。

原告洋子は、本件第一事故前、本件溝渠北側にある本件欄干のある道路で近所の主婦田中征子(以下、田中という。)と雑談をしながら原告久美子(当時三歳)とその妹信子(当時一歳)の娘二人を遊ばせていたが、田中が家に入つたので、自宅に戻ろうとしてそれまで抱いていた右信子を地上に降ろし、同女が歩き出したところへ、自動車が来たので、二、三歩急いで同女を抱えに行つた。すると、原告久美子の叫び声が聞えたので、原告洋子が後をふり返つて見ると原告久美子が本件溝渠に転落していた。原告洋子が本件溝渠へ転落する直前に原告久美子を確認したのは同人が右本件欄干の西端付近にいたときであつた。

右事実に前記1(本件道路及び本件溝渠等の状況)の事実を考え合わせ判断するに、原告洋子は、本件道路と本件溝渠の各構造やその状態等現場の状況を知悉し本件溝渠周辺で幼児を遊ばせていれば幼児が本件溝渠に転落する危険があること及び転落した場合の結果の重大性を充分に認識していた筈であり、原告久美子は、当時、まだ三歳で自から右危険を察知してこれを回避するよう行動するだけの能力はいまだ充分には備えていなかつたのであるから、同女の母である原告洋子としては、本件現場のごとき危険のある場所で近隣の者と雑談しながら原告久美子のごとき幼児を遊ばせる場合には、同女の動静に注意し、同女が危険な行動に出ようとするときに、これを制止しうる状況の下で監護すべきであつたというべきところ、原告洋子が本件第一事故発生の直前に下の娘信子の動静に目を奪われて原告久美子の動静から目を離さざるをえなかつたことは前示のとおりであり、そのこと自体が一瞬のことであつたことは菅野事件原告ら主張のとおりであるとしても、原告洋子は、自動車の往来が予想される道路上で満一歳にすぎない信子を地上に降ろして手を離す以前に、いま一人の娘である原告久美子の動静やその当時の車両通行の有無等附近の状況を確認し安全なことを確めてから、前記のごとき行動に出るのが至当の措置であつたというべきであり、かかる安全の確認を充分に行つていなかつた以上(右確認を充分に行つたと認むべき証拠はない)、原告洋子にも本件第一事故による損害額を算定するにあたつて斟酌されるべき過失があつたといわざるをえないが、前記被告の本件道路管理上の瑕疵の内容と右原告洋子の過失の内容を彼此勘案すると、過失相殺の割合は一割とするのが相当である。原告洋子が目を離したのは一瞬のことであることや右事故が公的災害であること及び交渉の経過等を根拠に過失相殺をすべきでないとする菅野事件原告らの主張は採用できない。

(七)  弁護士費用

原告久美子、同信一、同洋子が本件訴訟の遂行を弁護士である本訴代理人らに委任したことについては当裁判所に顕著な事実であり、本件事件の内容、請求認容額、訴訟の経過等諸般の事情を考慮すると、本件事故による損害として右原告らが被告に賠償を求めうべき弁護士費用相当額は原告久美子については金一二〇万円、原告信一及び同洋子については各金三万円と認めるのが相当である。

六時効の抗弁(菅野事件)

1  本件全証拠によつても被告主張の起算日である本件第一事故発生日の昭和四五年七月一五日当時、菅野事件原告らが本件道路が被告の管理下にあり、被告が責任を負うべきものであることを知つて、本件第一事故について被告に対し損害賠償請求することを検討していた事実を認めることはできず、他に右時点を時効の起算日とすべきことを肯認せしめるに足りる事実を認むべき証拠はない。

2  次に、昭和四七年七月二七日をもつて時効の起算日とする被告の主張を検討する。

〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一)  原告信一、同洋子は、昭和四七年、子供を守る会に入会し、以後、同会の会員として子供の公共溝渠への転落事故防止の為に公共溝渠に蓋をかけることを被告に求めるための署名活動を開始したものであるが、右の子供を守る会とは、昭和四七年二月二七日頃公共溝渠等へ転落した被害者の遺族等が集まつて結成した会であり、その事務局を法律事務所内に置いており、また、原告信一、同洋子が入会した当時の同会の代表者万田正己はその子供が東京都北区内の公共溝渠に転落死亡した事故に関し公共溝渠の管理者である北区を相手とした国家賠償請求事件で昭和四六年五月二八日勝訴判決を受けていたものである。

(二)  原告信一は、子供を守る会に入会した際に原告久美子の転落事故について同会の担当弁護士に相談する一方、前記のとおり被告に公共溝渠に蓋かけを求めるための署名活動を開始したのであるが、同会の会員であり江戸川区の公共溝渠に転落死亡した子供の親である大友正、関根芳春は、それぞれ昭和四七年三月と同年六月に公共溝渠の管理者である江戸川区を相手として国家賠償請求の訴えを提起し、原告信一自身は、同年七月二七日頃には、それまでに集めた署名とともに被告に公共溝渠に蓋かけをすべきことを求めた要望書を提出する準備をととのえていた。

しかして、昭和四九年一月二八日と同月三〇日にそれぞれ被告に責任を認めた大友判決、関根判決がなされたことは前示のとおりである。

以上認定の事実に照らすと、菅野事件原告らは、昭和四七年七月二七日頃には、本件第一事故による損害を知つていたのはもちろん、右時点において、被告が本件道路の管理者であり、被告において本件道路に柵を設置したり本件溝渠に蓋がけをする等して本件溝渠への転落防止のための措置をとらなかつたことが、違法とみられる可能性のあることを知つていたか知りえた筈であり、右時点において本件第一事故による損害と加害者を知つたものというのが相当である。

もちろん、本件第一事故の場合、誰れがみても一見して被告に責任のあることが明らかであるとはいえず、被告の責任の有無を判断するについては、相当に詳細な事実関係の調査とこれを基にした法律判断が必要であり、最終的に確定判決によつて公権的に確定されるまでは、その存否を断定しにくい事件であることは否定しえないにしても、一面、社会的事象としてあるいは法律上の出来事としては、それまで類似事例が全く存しなかつたような出来事でないことも明らかであり、この点を参酌すると上記のごとき事情は前記認定事実から前示のごとく判断する妨げになるものではないというのが相当である。

3  そこで、菅野事件原告らの再抗弁について判断する。

まず、右原告らは、本件合意がなされたことをもつて債務の承認であるというが、右合意が前示のごとぎものである以上、同原告らの右主張は採用しえないといわざるをえない。

しかし、本件合意に至る前示交渉の経緯と右合意の内容に照らし少なくとも、被告が昭和五〇年三月六日の時点では責任を認め損害賠償にも応ずるがごとき態度を示していたことを考慮すると、菅野事件原告らが昭和四七年七月二七日頃に本件第一事故による損害と加害者を知つたというべきことは前示のとおりであるとしても、同原告らが同日以降権利の行使を怠り権利の上に眠り続けていたというのはいささか酷に失し、被告が本訴において時効を援用するのは信義則ないし公平の原則上許されないというのが相当である。

七次に、佐竹事件について被告の国家賠償法上の責任について検討する。

1  本件取水口溝渠等の状況

本件取水口溝渠は江戸川より江戸川河川敷内を横断し江戸川土手に及ぶ約一五〇メートルの長さをもつコンクリート柵渠であり、その内壁は水深約二メートルの垂直壁であること、本件取水口溝渠の周囲には高さ一メートルの鉄パイプによる防護柵及び同柵に有刺鉄線が張られていること、本件取水口溝渠はもともと被告が区内の農業用水取水のため構築したものであるが、本件第二事故当時宅地造成により田畑が少なくなつたことから殆ど利用されなかつたことの各事実は当事者間に争いがなく、右の事実に、〈証拠〉を総合すれば次の事実を認めることができ、〈る。〉

(一)  一宏が転落した本件取水口溝渠は江戸川より江戸川河川敷内を横断し江戸川土手に及ぶ約一五〇メートルの長さをもつコンクリート柵渠であり、幅約2.1メートル、水深約二メートルの垂直壁である。本件取水口溝渠の上には約一メートル間隔に梁が架設されていた。

(二)  江戸川河川敷にはグランド、広場があり住民の利用に供されていたが、本件取水口溝渠付近にも本件取水口溝渠を真中にして両側にグランドがあり、グランドと本件取水口溝渠との間は草が生え、本件取水口溝渠沿いにも草が生えていて少し高くなつていた。本件取水口溝渠の両側にあるグランドを繋ぐため、本件取水口溝渠には、本件第二事故当時東京都が管理していた木橋が架設されていた。

(三)  本件取水口溝渠は、もともと被告が区内の農業用水を江戸川より取水するため構築したものであるが、本件第二事故当時は江戸川区内の公共溝渠水質浄化等の為に利用され、通常本件取水口溝渠の五分ないし八分程度まで水位があり、水の流れはよく注意して見ないとその動きがわからない程度に緩やかであつた。

(四)  本件取水口溝渠の周囲には高さ一メートルの鉄パイプによる防護柵が設置され、一番上部の鉄パイプに有刺鉄線が一本張られ、横に二本ある鉄パイプの間にも有刺鉄線がそれぞれ一本張られていた(別紙見取図第一図参照)が、前記木橋には当時転落防止の為の設備が施されていなかつた。右木橋と鉄パイプの防護柵の間には約0.3メートルの間隙があり(同図中の点、点)、西側の鉄パイプ柵と木橋の間隙(同図中の点)は本件第二事故以前は鉄パイプの上、中、下部から木橋へそれぞれ有刺鉄線が一本ずつ張られていたが、本件第二事故当時は上部の一本のみが残つているにすぎず、残りの二本は切断されていた。東側の鉄パイプ柵と木橋の間隙は(同図中点)同様に三本の有刺鉄線が張られていたが、本件第二事故当時は鉄パイプ柵の下部から木橋へ張られていた有刺鉄線一本のみが残つて、他の二本は切断されていた。本件取水口溝渠の水門付近の鉄パイプ柵と鉄パイプ柵の間隙(同図中点、点)は約一メートルあり、その東、西側部分の間隙にはそれぞれ鉄パイプ柵の上、中、下部間に有刺鉄線が一本ずつ張られていた。本件取水口溝渠縁から木橋までの高さは約0.79メートルであつた。

(五)  本件取水口溝渠内には魚等が入つてくるため、防護柵を越えて立入つて魚等を取る者があり、かなりの頻度で有刺鉄線が人為的に切断されていた。

(六)  本件第二事故発生前の昭和四九年二月、訴外瀬戸真由美(当時四歳)は、本件第二事故現場の江戸川下流約二キロメートルに所在する江戸川河川敷内の本件取水口溝渠と同様の構造をもつ本郷用水路に転落し、死亡した。

2  本件事件発生の経緯

〈証拠〉によれば、一宏は、本件第二事故当日、同級生の友人三人とともに江戸川河川敷に赴き、同人は本件取水口溝渠に掛かつている前記木橋と本件取水口溝渠西側の間隙(別紙見取図第一図中点)から侵入し(前記のとおり、ここには鉄パイプ柵の上方から木橋に一本の有刺鉄線が張られていたと認められるので、これを潜りぬけたものと推認される)、本件取水口溝渠の縁を南側に行つた所で(同図中転落場所の地点)、虫取りの網でおたまじやくしを掬い取ろうとしている時に、誤つて転落したものと認めることができる。

3  取水口溝渠管理の瑕疵の存否について

被告が本件取水口溝渠を管理していることは当事者間に争いがない。そこで、被告の本件取水口溝渠の管理に瑕疵があつたか否かについて判断する。

右認定のとおり、本件取水口溝渠の周辺にはグランドがあることから子供らが本件取水口溝渠周辺に集まりやすい状況であり、特に本件取水口溝渠内は魚等が入つてくるため、魚等を取るために防護柵を越えて本件取水口溝渠縁に侵入者があり、かなりの程度で人為的に有刺鉄線が切断されている状況であつたことからすると、子供が本件取水口溝渠に侵入し転落することも充分予想される状況であつたというべきである(事実、本件取水口溝渠近くの公共溝渠に子供が転落したことは右認定のとおり)。そして、誤つて本件取水口溝渠内に転落した場合には前記認定の本件取水口溝渠の構造上、子供が独力ではい上がることは困難であり、溺死する危険性は高かつたと認めることを考慮すると、被告には本件取水口溝渠への転落防止措置を施す義務があつたものというべきところ、被告は前記のとおり本件取水口溝渠周辺に鉄パイプの防護柵と有刺鉄線を設置し、本件取水口溝渠縁への侵入を防止し、もつて本件取水口溝渠への転落防止のための措置を施していたのであるが(前記認定の現場の状況等に照らすと、佐竹事件原告らが主張するように本件取水口溝渠へ蓋かけをしなかつたことをもつて本件取水口溝渠の管理の瑕疵であるとは断じえない)、本件第二事故当時、一宏が本件取水口溝渠縁に侵入した個所と認められる前記木橋と本件取水口溝渠西側の鉄パイプ柵の間隙(別紙見取図第一図中点)には鉄パイプ柵上部から木橋へ有刺鉄線が一本張られているのみで他の二本は切断されている状態であつたことは前示のとおりであり、本件取水口溝渠を取り巻く前記の状況を考慮すると、それは、本件取水口溝渠周囲に設置された鉄パイプ防護柵、有刺鉄線が被告が必要と認めて設置したとおりの状態に保たれていなかつたことを意味し、特段の事情のない限り、一応、被告の本件取水口溝渠の管理に瑕疵があつたことを意味するものといわざるをえない。〈証拠〉によれば、被告は本件取水口溝渠周辺を週に一回程度巡回して本件防護柵等に異常がないかを調査する体制になつていたというのであるが、本件第二事故発生前いつの時点で現実に本件防護柵等について調査したのかは明らかでなく、前記有刺鉄線の切断が本件第二事故発生の直前、被告が発見、補修するいとまのない時期に行われたものであれば格別、かかる状況であつたことを認めさせるに足る証拠のない本件においては、有刺鉄線が被告が必要と認めて設置した本来のあるべき姿に保たれていなかつた以上、被告の本件取水口溝渠の管理に瑕疵があつたことを否定することはできないといわざるをえない。

4  損害

(一)  一宏の逸失利益 各九六四万九二二〇円

一宏が死亡当時満七歳であつたことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、同人は本件第二事故がなければ満一八歳から六七歳まで就労して収入を得ることができ、右期間を通じ昭和五六年度賃金センサス第一巻第一表による産業計、企業規模計、学歴計の男子労働者全年齢平均の年間給与額三六三万三四〇〇円を右期間毎年継続して得るものと推認でき、一宏の逸失利益算定について控除すべき生活費は収入の五〇パーセントとするのが相当であるから、これを基礎にライプニッツ式計算法によつて一宏の逸失利益の本件第二事故における現価を算出すると金一九二九万八四四〇円となる。

363万3400円×(1−0.5)×(18.9292

−8.3061)=1929万8440円

原告敏男、同千恵子が一宏の両親であることは当事者間に争いがないから、右原告両名は九六四万九二二〇円宛一宏の逸失利益を相続によつて承継取得したものと認められる

(二)  葬儀費用及び墓石費用 各五〇万円

(1) 〈証拠〉によれば、原告敏男、同千恵子が一宏の葬式を行つたこと、葬式の費用として金五〇万円ほどかかつたことを認めることができ、右認定に反する証拠はない。そして、葬式費用金五〇万円は一宏の年齢等から考えて本件第二事故と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。

(2) 〈証拠〉によれば、原告敏男、同千恵子は、一宏及び一宏の死亡前に死亡した右原告らの長女のために、新しく墓地を求めて墓石を建て墓を作つたこと、原告敏男ら家族は今後その墓を利用するものであること、墓地購入代を除いた墓石建立費用として金一三二万二〇〇〇円かかつていることの各事実を認めることができるが、右墓石建立の趣旨や一宏の年齢等を考慮すると、右原告らが支出した墓石建立費用のうち本件第二事故と相当因果関係のある損害と認めうるのは金五〇万円をもつて限度とすると解するのが相当である。

以上のとおりとすると、葬儀費用及び墓石費用につき、原告敏男、同千恵子が被告に支払いを求めうる賠償額は、各金五〇万円である。

(三)  慰謝料 各五〇〇万円

本件にあらわれた諸般の事情を考慮すると、原告敏男、同千恵子が一宏の死亡により被つた精神的損害を慰謝する額としては各自金五〇〇万円をもつて相当とする。

(四)  過失相殺

〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができ、〈る。〉

(1) 一宏が本件第二事故当時在籍していた小学校では江戸川河川敷の中へは監督者と一緒でないと行つてはいけないという方針の下で生徒を指導し、生徒の家庭にもその旨を配布していた。

(2) 原告敏男は、本件第二事故の半月前頃、その妻原告千恵子から一宏が川へ行くようになつたので注意するよう言われ、一宏に対し子供達だけでは行つてはならない旨注意した。

(3) 一宏が在籍しているクラスの担任教師は、事故当日、一宏を含むクラスの生徒に対し江戸川へは行つてはいけない旨注意した。

(4) 一宏は事故当日、学校から帰つて同人の祖母に対し川へ行つてよいか尋ねたが、これに対し祖母は川へ行くことを禁じ、近くのお寺へなら虫取りにいつてよいとしてこれを許した。

(5) ところが、一宏は、これに反し江戸川河川敷に同級生三人と赴いたのであるが、その途中、江戸川土手で通行人の男の人から江戸川河川敷の方へは行つてはいけない旨注意された。

一宏は、本件第二事故当時七歳になる小学二年生であつて(当事者間に争いがない)右の注意事項を理解しうる能力があり、かつ本件取水口溝渠の周囲には鉄パイプ防護柵と有刺鉄線が設置されていることから防護柵内に入つてはいけないこと、防護柵を越えて入れば本件取水口溝渠に転落する危険があることを認識し、これに従つて行動する能力を備えていたものであると認められる。にもかかわらず、一宏は、右注意を無視して同級生三人と江戸川河川敷に赴き、かつ、同級生三名は立入らなかつたのに一人前記のごとく本件取水口溝渠防護柵内に侵入し、その結果誤つて取水口溝渠内に転落したものであつて、一宏にも本件第二事故の発生につき重大な過失があつたことは明らかである。そして、同人の右過失の態様と前記瑕疵の内容に照らすと、佐竹事件原告ら主張のごとき事情を考慮しても、その過失相殺の割合は六割とするのが相当である。

そうすると、上記各損害のうち、原告敏男、同千恵子が賠償を求めうるのは各金六〇五万九六八八円となる。本件のごとき公的災害については、そもそも、過失相殺の理論を適用すべきでないとする佐竹事件原告らの主張を採用しえないことは、菅野事件において判示したのと同様である。

(五)  弁護士費用 各六一万円

原告敏男、同千恵子が本件訴訟の遂行を弁護士である本訴代理人に委任したことは当裁判所に顕著な事実であり、本件事案の内容、請求認容額及び訴訟の経過等諸般の事情を考慮すると、本件第二事故による損害として右原告らが被告に賠償を求めうべき弁護士費用相当額は各金六一万円と認めるのが相当である。

八結論

以上の次第で被告は

1  損害賠償金として原告久美子に対し金一三二四万六六八円原告信一、同洋子に対し各自金三〇万円及び弁護士費用相当分以外の原告久美子に対しては内金一二〇四万六六八円、原告信一、同洋子に対しては各内金二七万円に対する本件第一事故(菅野事件)発生の日である昭和四五年七月一五日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を

2  同じく損害賠償金として原告敏男、同千恵子に対し各自金六六六万九六八八円及び弁護士費用相当分以外の各内金六〇五万九六八八円に対する本件第二事故(佐竹事件)発生の日である昭和四九年七月一三日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を

それぞれ支払うべき義務があるものといわなければならない。

よつて、原告らの本訴請求は右認定の限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求を失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条本文、第九三条本文を、仮執行の宣言につき同法第一九六条一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(上野茂 畔柳正義 加々美博久)

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